書き起こし全文【Youtube】小中学生のための天皇・皇位継承論 1 後半

Youtube スライド動画「小中学生のための天皇・皇位継承論  1  後半」1時2分ほど
https://www.youtube.com/watch?v=_A9QWyjEE50
の書き起こし全文を以下に掲載します。
まずは動画を直接ご覧いただきたいと思いますが、視聴後の確認など活用ください。

*

「小中学生のための天皇・皇位継承論  1  後半」
・継体天皇 手白香皇女
・推古天皇 蘇我馬子
・光格天皇 後桜町院
・明治の皇室典範 高度な昇華
・憲法1条 象徴 国民の総意に基く
・憲法2条 世襲=旧宮家即位含む 皇室典範
・旧宮家子孫から皇籍に組み入れ・宮家設立

書き起こし全文【小中学生のための天皇・皇位継承論 1 後半】
https://www.youtube.com/watch?v=_A9QWyjEE50

小中学生のための天皇・皇位継承論 後半

天皇の代替わり 皇位継承の話をしたいと思います

最初に Youtubeで見ていて 私の話すのが遅いと感じる人は
再生スピードを 1.25倍など
聞きやすいよう調整にして 聞いてください

前回の【前半】では、2つの基本の話をしました
一つ 王位皇位の世襲方法分類 直系継承と一系継承の文化的な相違について
二つ 王皇制の危険性・リスク 王統断絶・国王処刑・恐怖政治について
そして そうした基本を踏まえての 日本の皇位継承の大枠について 話をしました

今回の【後半】では、憲法、法制の話をしたいと思いますが
その前に、歴代の皇位継承に関して 私が重要と考える継承を
基本と照らし合わせながら どう合致し どう合致していないか
それが今の法制に どう繋がっているか 話をしておきたいと思います

ここで 歴史を語る際、見る際においては 様々な視点があります
天皇は 当初段階では直接的に政治に関わる存在でしたので
政治の面からの見方 政治家としての天皇 という見方もあります
また 人間的な見方 文学的な見方
色恋 男女の関係など 文化的な見方もあると思います

人間は多面的なものです
完全な善人や 完全な悪人はいないものです
みんな色いろな面を持っています
一つの面で好ましい形だからと言って、別の面でもそうとは限りません
また逆に、一つの面でおかしい、良くない としても、他の面でもそうとは限りません
それはそれ、これはこれ という 区分け が重要です

今 私は 皇位継承という観点から
歴代の天皇 その周辺の在り方について話をする形です
他の面 他の意味での評価は また別にあると思います
それはそれ これはこれ
そういう意味での話となります

さて 中身の話
日本の皇位継承は一系継承が基本となっていますが
その一系継承を 確立させた継承
傍系移行をしっかりと位置付けた継承 という意味で
26代 継体天皇の即位は
非常に重要な意味を持つ継承であったと考えます

まずは 24代 仁賢 にんけん 天皇 です
仁賢天皇には娘と息子がいました
手白香皇女 たしらかのひめみこ が姉です
弟が 父の次に 25代 武烈天皇 として即位します

しかし 武烈天皇は子供を残さないままに亡くなりました
男の兄弟もおらず 近しい親戚にも男子はいませんでした

ここで 前の天皇の娘で 武烈天皇の姉である手白香皇女は
有力な存在として見られますが
でも 天皇の娘だから女でも良いだろう とはならずに

先代 先々代と 一系継承の基本通りに遡って
結局は10代も遡って 16代 仁徳天皇 の弟に行き
そこから 子孫となる男子を見つけ
その男子が 26代 継体天皇として即位をした流れになります

継体天皇は 50歳を超えていて 結婚して子供もいる状態でしたが
継体天皇一人だけではなく その妻も子も一緒の形で 天皇となった経緯です
実際、その後の27代 安閑天皇、28代 宣化天皇は
継体天皇が即位する以前に生まれていた息子であり
皇族外だった息子も 皇位を継いだ形になります

そして ここが重要です
ものごとの後先、順序順番、ケジメが示されることですが
まず最初に 継体天皇が即位をして
その後で 継体天皇は 手白香皇女と 結婚している経緯 順序になります

一系継承の原則 傍系移行という意味では
必ずしも前の天皇家系の娘と結婚する必要はありませんが

この頃は今と違って 継体天皇のような有力者は多くの妻を持っていた形になりますし
傍系移行でも
元々 継承の可能性があるものとして認知されている状態から即位した
という流れではありませんので
前の流れを尊重する意味合い 共に再構築していこう という意味合いも含めて

元々の妻 27代、28代を継ぐ息子の母親はそのままに
追加の縁組 という形で 手白香皇女と結婚した形と 捉えます

なによりも
そもそも手白香皇女に私心、私利私欲があったなら
わざわざ遠縁の継体天皇を探し出すまでもなく
理由は後からつける形で 自分が即位したり 誤魔化すこともあり得た形でしょうから

それをしないで
前の天皇の娘だからといって相続の権利があるわけではない
皇位はそうした世襲物とは違う という形で
大傍系への皇位の移行 国譲りをした ということに対する
尊敬心というものも 大きかったものと思います

そうした意味で この当時の 手白香皇女 そして臣下は
非常に尊い 一系継承確立という意味で 決定的な働きをしたものと捉えます

皇統、天皇の歴史を捉える中で、初代の神武天皇、和の国づくりは欠かせないものですが
今でも日本人が 初代神武天皇、和の国づくり と思うのは
由来を重んじる一系継承を続けて来たからであり
途中で直系継承に変わっていたら、
皇統が今も続いていたかも分かりませんし
続いていたとしても 時の天皇だけを見る形で
初代 神武天皇への理解は低かったものと思います

その意味で MVP
皇統 一系継承を固めた先人という意味で
手白香皇女 と臣下たちは 最優秀選手というか
非常に大きな功績を残した人たち そうした時代であった とみなされるものと考えます

その後、
29代としては 継体天皇と手白香皇女の息子である 欽明天皇が皇位を継いだ形になっています

次に欽明天皇以降の流れですが

欽明天皇は 元々の継体天皇の息子 ※義理の兄となる 28代宣化天皇の娘と結婚しています
(※「義理の兄」ではなく、いわゆる「腹違いの兄弟・兄」、「父は同じで母親が違うという兄弟関係」と訂正します)
そして生まれた息子が 敏達天皇として 30代を継いでいます

そして この当時の有力な豪族 天皇の臣下に
教科書にも出てくる蘇我氏 蘇我馬子がいます

蘇我馬子には姉、妹がいて
姉が欽明天皇と結婚し
更に 妹も欽明天皇と結婚しています

姉の息子が 31代 用明天皇となり
姉の娘が  後に日本初の女性天皇 推古天皇となります

そして 妹の息子が 32代 崇峻天皇となります

敏達天皇 用明天皇 推古天皇 崇峻天皇は
欽明天皇の子供で ※義理の兄弟関係になります
(※「義理の兄弟関係」ではなく、いわゆる「腹違いの兄弟関係」、「父は同じで母親が違うという兄弟姉妹の関係」と訂正します)

そうした中で、推古天皇は 兄の敏達天皇と結婚をしている形になります
完全な 同族結婚 兄弟結婚となります
女性天皇が生まれた背景は このように 今とは違った結婚関係が大きく影響しています

欽明天皇の正式な皇后は 宣化天皇の娘となります
そしてその息子が敏達天皇です

本来 敏達天皇の死後には 敏達天皇の息子が継ぐ形がスムーズな流れになります
仮に 今の法制 皇室典範に基いて継承するとするなら 敏達の息子が継ぐ形となります

しかし 天皇が政治に直接的に関わっていた当時は
力関係 権力関係が大きく影響して
蘇我馬子が 自分と姉 妹の息子 つまりは伯父叔父と甥という関係を利用して
影響力を使いたい、高めたいという思惑から
蘇我馬子の姉の息子が 31代 用明天皇として 皇位を継いだ形になります

用明天皇は病気で早くに亡くなりましたが
その後もやはり 蘇我馬子の妹の息子が 32代 崇峻天皇として 皇位を継いだ形です

ここで 崇峻天皇は 敏達天皇の子孫もいる中で
蘇我馬子の影響力によって天皇になった形ですが
天皇になってしまったら 自分は天皇 蘇我馬子が邪魔 という感じになった流れか
結局は蘇我氏系で仲間割れして
蘇我馬子の手配により 崇峻天皇は殺された形になります

こういう 豪族支配 権力闘争 殺し殺されの中で
日本初の女性天皇が生まれた経緯になります

崇峻天皇を殺したものの
蘇我馬子は 蘇我氏の影響力の及び易い形で次の天皇を立てたい
また、推古自体も 自分近い関係で継がせていきたい という気があったかもしれません
そうした中で 欽明天皇の娘であり 敏達天皇の皇后 敏達の死後は皇太后の立場であった
推古が33代として即位した形になります
このようにして生まれたのが 日本初の女性天皇 推古天皇です

女性天皇はこの後7人、合計8人となりますが 一番在位が長いのが推古天皇で35年です
他では孝謙・称徳が15年弱 二番目に長く
明正天皇が13年ですが これは5歳から19歳までという形で 実質的な実働在位ではありません

推古天皇の死後 結局は敏達天皇の孫が 34代 舒明天皇として継いだ形になります

こうした形での即位・在位を見て、男女問題という観点から誇らしく思えるでしょうか
女性天皇がいたということと 男女問題は別の話で
時代の状況、事情がある中で 決してキレイな意味合いではなく
一系継承の例外として即位してきたのが女性天皇の実際と見ます

一度例外を作るとどんどんなし崩しになっていくものです
実際 初代の推古天皇は 天皇 男天皇の娘であり 天皇の妻:皇后でした

次の女性天皇は 皇極天皇ですが 天皇の妻:皇后でしたが 天皇の娘ではありません

3人目の持統天皇は  天皇の娘 天皇の妻:皇后 です

4人目の元明天皇は  天皇の娘ですが 天皇の妻ではありません

5人目の元正天皇は  男天皇の娘でもなく 天皇の妻でもありません
5人目以降は全て未婚 生涯独身となります

6人目の孝謙天皇は  天皇の娘ですが 未婚 弟や甥など近親に後継者がいるわけではないのに
日本初の女性皇太子となり皇位を継いでいます
完全な一系継承のルール破りであり これ以降一度も女性皇太子はありません
これは孝謙天皇自身の問題というより、父親である45代 聖武天皇の問題となります
聖武天皇は藤原氏の娘を妻としていて 藤原氏の影響も受けていた形です
この孝謙天皇が 一度譲位したあと また即位して
道鏡という僧侶を皇位に就けようとして道鏡事件を起こしています これも完全な一系継承のルール破りです
これ以降 800年以上も女性天皇は封印される形になります

このまま 女性天皇が封印された形なら良かったと思いますが
7人目として明正天皇が即位します
父親 後水尾天皇の譲位によるものですが
明正天皇が即位した段階で その後に次ぐ弟たちはだれ一人生まれていませんでしたので
一系継承のルールからすれば 後水尾天皇の傍系 弟等に継がせるべきであり 一系継承のルール破りとなります
せっかく 孝謙天皇 称徳天皇の反省 教訓を踏まえて 800年以上も女性天皇がなかったのに
それを復活させた それも 次に継ぐ身内の男子がいない中で 一系継承のルール破りで
女性天皇を即位させたという意味で この後水尾天皇は皇統の歴史に残る存在
良い意味ではなく 永遠に検証対象となる存在と考えます

基本と応用、基本が大切
基本の王位皇位の世襲方法分類 直系継承と一系継承の相違を知っていると
基本に基いて 実際の継承例がどのように基本に合致し、どのように外れているかが分かります
基本と照らし合わせて 判断が出来るようになります

日本の皇位継承は、基本通りではなく、例外もあった継承です
全部を正当化する必要はありません
先人は、こうした例も踏まえ、教訓としながら継承の質を高めて来た歴史となります
そうした点を見ること またそうして高められた蓄積を崩さないことこそが重要となります

歴代の継承の説明としては最後の例となります
直近での傍系移行 119代光格天皇の即位に関してです

115代桜町天皇には娘と息子がいました 姉と弟です
弟が116代桃園天皇として即位しました

その後 若くして桃園天皇は亡くなりました
息子がいたのですが幼少でした
そこで 姉が117代 後桜町天皇として即位しました

そして 弟の息子 すなわち甥が大きくなり皇位を譲りました
この甥は 118代 後桃園天皇として即位しました

後桃園天皇は娘 欣子 よしこ 内親王はいるが、息子はいないという状況でした
今の天皇 愛子内親王と同じ状況です

こうした状況の中で 後桃園天皇も若くして亡くなりました
娘の欣子内親王しかいないという状況で
その娘でも良いだろう とはなりませんでした
後桜町天皇が即位した時とは状況が違っています
次に継ぐ身内の男子がいる状況ではありません

こうした意味での女性天皇
息子がいないから娘でもよいではないか
という形での女性天皇がなしとされたのは
明治になってからの決まりではなく
明治の100年以上前の江戸時代 この時点で既に固められていた形になります

そして 先代、先々代と 一系継承の基本通りに遡って
次の継承者を選定の流れとなりました

こうした流れは、最初に説明をした手白香皇女 継体天皇の即位の例と同じですね

ところが
継体天皇の時は 結婚して子もいる状態でも継体天皇で良いと 継いだ形でしたが

この時代 後桜町上皇 臣下においては
妻子のいる 典仁 すけひと 親王ではなく

息子の方 それも弟だけを寄こせばよい という形で
幼い子を 後桃園天皇の養子としてもらい

欣子内親王と 後に結婚させた形になります

いかがでしょうか この実際の継承例 この応用の在り方は
基本があれば、見える形 判断出来る形になります

一系継承の基本は 単に男系で繋がれば良いというものではなく
皇位の由来、成り立ちを重んじ
時の天皇 その一家の利権 相続物と捉えない
由来を 時の天皇一家のものに転換しない ということです

この例は 明らかにそれに反したやり方であり
せっかく 手白香皇女 その臣下らが
継体天皇の即位 という形で確立した一系継承
傍系移行のケジメを 大幅に崩すものとなっています

継体天皇の即位から 1,200年も経って
数々の教訓も踏まえて高められてきたはずの伝統
その昇華を
この時代の こうした継承によって 崩した形になります
実際、こうした継承によって 後に事件、問題も起こっています

「尊号一件」です

これは、光格天皇が 自分の皇位の由来を考える中で
皇位継承者たる父親があってこそ、その息子である自分が継承者となり得たのであり
本来の皇統原理 一系継承からして 父が天皇でなんらおかしくなかった
その父親を 一代飛ばしで自分が皇位に就いたことを

「孝」 親孝行の「孝」という 徳の観点から このままでは良くないと思い
父親の典仁親王に 太政天皇の称号を贈ろうとして、幕府側とトラブルになった事件
と考えられます

時の天皇一家の都合によって
皇統 神武天皇の系統を受け継ぐ継承者男子を
便利に扱い 父親の一代飛ばし 兄も飛ばして 内親王と結婚させるために養子にした

この時は 後桃園天皇が死んでいるのに それを隠して 養子とし
その後に即位 という形を作った様子です
そうした無理 小細工 時の直系 家族による私物化の反動が
出るべくして出た という経緯となります

当然ながら 明治における立憲君主制の確立
成文の憲法 皇室典範 の策定に当たっては
こうした点も 一系継承の基本を踏まえながら 十分に吟味、勘案された流れであり
現行の法制においては 女性天皇は あらためて明示的に排除され
養子も禁止 となっています
非常に重い意味合いを持つ規定です

そして、傍系移行に際して、時の天皇一家が
継承者選定において関与し 皇位の私物化
皇位継承者の便利者扱いが 出来ないように
「皇位継承順」というものを事前に定めることによって
その順番により 妻や子供がいても 前の天皇の娘等との結婚の条件 なしに
キレイに 正統に 即位出来るよう 高められている形になります

更に 女性天皇に関しては
欣子内親王のような 天皇に息子はいないけど娘はいる という場合において
天皇になれないことを再確認しただけではなく
後桜町天皇の様に 身内に幼少の男子がいて
その成長までを繋ぐような場合も含めて 排除されています
これは、国家・法制の枠組みとして 幼少後継者の地位を守るという形
即ち、0歳でも即位出来る という規定の整備によってです

ここで天皇の究極的な役割が 吟味され
伝統解釈の昇華として 示された形になります

よく 明治は軍国主義 男尊女卑
天皇は軍服を着て 白馬にまたがるイメージで作られた
などという話も 聞かれるところですが
実際は 0歳でも即位可能 0歳の赤ちゃんでも天皇で良い 即位・在位に相当だ
としたのが 明治の皇室典範となります

0歳ですから 当然おっぱい赤ちゃんです
天皇の子だからと言って 0歳でも白馬にまたがれるわけではありません
軍国主義などとは全く別の形で規定されているのが 明治の天皇の在り様です

日本においては
女性を天皇とする歴史の中で
最初は未亡人 結婚して 子供もいる前提で 夫が死亡した後の天皇即位でしたが
その後のなし崩しによって
未婚のままで女性天皇となった例が4人 います

この4人の女性天皇は
譲位をして 次の継承者に天皇を譲った後でも
一生結婚をせず 子供も産まずに 生涯を閉じられた形になります

天皇は いつの時代でも 男でも女でも
自分の好きには生きられず 献身 の要素があるものですが
とは言え 最低限の 人としての営み
結婚して 愛し愛され 抱き合い 子供を生み
ということは 確保されるのが 大前提でした

しかしながら 4人の女性天皇は それがない形で
日本の歴史の いけにえ と言ったら表現が違うかもしれませんが
尊い自己犠牲の上で 即位・在位をしてもらった形
譲位後も 身を捧げてもらった形になります

歴史 伝統を受け継ぎ 昇華させていく立場
成文法による法制化で 争いや殺し合いなどなく皇位を継いでいく仕組みを整える上で
こうした女性天皇の献身を また繰り返してよいのか
そんなことをしないと 国家 天皇を成り立たせられないのか
そうした吟味を踏まえた上で

天皇の究極は 皇位継承 一系継承にあり
皇位を私物化しないで 由来を重んじ 預かりものとして捉える継承を確かにすることこそが
天皇の存在意義の最大である
との究極捉えにより
0歳でも天皇に即位が可能 とした形です

0歳では公務等は出来ませんが 0歳でも出来ることが皇位継承
むしろ 0歳で即位することこそが 私物化のない一系継承を 確かにすることになる
実務は 他の継承者が摂政として代行すれば良い
との割り切りに至ったのが 明治の皇室典範
日本人の歴史の段階となります

この捉え、法整備によって
後桜町天皇のように
姉や叔母など身内の女性が、生涯の結婚、譲位後も含めた結婚・出産を 犠牲にして天皇となり
幼少継承者の立場、次の即位を守る という必要がない形に
二度と そうした献身 が起こらないように 高められたのです


いかがでしょうか
基本があれば こうした区分け、判断、読み解き が出来
現行法制の意味が 理解出来る形になります

皇位継承は 超一級の国家的事項 歴史的事項となり
公的な資料も残される形になりますので
千年以上の年月 としつき を超えて 比較 検証され
評価 見直しもされれば
教訓例として 戒めの対象となることもあります

手白香皇女 継体天皇の例と 後桜町上皇 光格天皇の例
その対比は そうした典型となります

情報化の進んだ現在、未来においては 尚更のことであり
時代を超えて 永久に国民的な検証にあい 比較されることとなります

天皇が憲法で位置付けられている状況においては
天皇 皇族 時の政治家だけでなく
その時代の国民も 一緒に検証対象 評価対象となります

あらためて 他人事感覚ではなく 当事者意識が重要となります
歴史の中に自分を位置付けて考えない近視眼では
今、現在における 横の視点で
責任を負ってやるのは政治家 偉い人たち
自分はお客さん それを外野から評価する人 選ぶ人 認める人
といった 他人事感覚 となります
国民の納得 理解が得られるか などの言葉はその典型となります

これに対して 歴史を意識し
過去 未来から 今の時代を預かっているという 縦の視点を持つと
政治と自分を切り離して捉えるのではなく
自分も 今の時代における当事者であり 歴史に責任を負っている立場だと
時代を作り上げていくことの必要性を感じ 関与していく形になります

こうした意識こそが重要であり
未来から今 平成 令和の時代を見られたときに
教訓 戒めと捉えられないように
先人の蓄積を 損ねるのではなく 高めていかなければなりません

歴史を見ると 過去の事例を教訓として高めて来た様子が読み取れます
過去に例があれば 今もやって良い ということにはなりません
そうした考え方は 伝統に基づく考え方ではなく
逆に 伝統の昇華 過去の歴史、教訓も踏まえつつ
伝統を高めて来た先人の営み、積み重ねを崩す 伝統破壊となります

天皇が政治に直接的に関わると
どうしても権力闘争に巻き込まれることになります
単に駆け引き 綱の引き合いに留まらず
殺し 殺されすらあった経緯となります
有力者の娘との結婚により
継承者選びに関与された経緯となります

これらの点を踏まえて
天皇が政治から離れた形で
文化的 理念的な存在として
和を伝え感化する役割に転換したことは
大きな段階上昇 先人の知恵であったと思います

また 時代によって 皇位継承の質
一系継承の解釈 実務に大きな差があったことも見えてくると思います

男系で繋がれば良い 女系にならないように というのは40点の継承
赤点で落第とはならない というレベルの継承です
男系で繋がっても 殺し殺されでの継承では 価値の低いものとなります
有力者の娘などとの結婚により 継承者を左右されるような継承では 価値の低いものとなります
傍系移行に際して 直系利権確保のための条件を付けるような継承では 価値の低いものとなります

そうした意味で
男系で繋がる という「必要条件」を満たした上で
更に高い条件 皇位を私物化せずに 和の質を高めるという 「十分条件」も満たし
皇位継承 一系継承のルール 価値を 70点 80点と高めて来たのが
皇統の歴史 先人の積み重ねとなります

そうした流れを 基本を 踏まえない論
王位皇位の世襲分類すら知らないで
単に男系が繋がれば良いという論 Y染色体論 などによって
低めることがあってはなりません

ましてや 利権世襲 分捕りものの直系継承
女性女系天皇に変えることがあっては なりません

時の政治権力 政治勢力
民間も含めた 特定の有力者集団 一族等とは 距離を保ち
結婚も含めて 政治の争い 外部の思惑に
便利に利用されないようにすることは
天皇の存在 皇位継承を歪ませない意味で 非常に重要となります

また 政治の方も
自分たちの都合 目先の利益 メリット目的で
皇位継承 継承者を材料として 駆け引きをすること
一系継承の基本に基いて 法で定められている継承者 継承順を
変えることで政治的な優位を目指そうとすることは
厳に慎まなければなりません

特定の政治勢力と組んで あるいは利用して
継承資格のない者 継承順の低い者を 皇位につけようなどとすることは
せっかく先人が高めてくれた継承の知恵 ルールを
壊して 無にしてしまうことになります

歴代の継承例 その教訓から
こうした点が見えてきます


あらためて
憲法論 法制の話に入ります

憲法は非常に重要です
憲法は国の歴史、先人の営み・積み重ね 伝統の昇華を踏まえてつくられています
ですからこれを蔑ろにすること 軽視することは
自分たちが立っている基盤を蔑ろにするという意味で
非常に愚かなことで 知識人とはみなされない態度・在り様となります

日本国憲法においては
1条で「天皇」が書かれ
2条で「皇室典範」が書かれ
5条で「摂政」が書かれています
しかしながらそれぞれの言葉の定義、前提説明等は書かれていません

天皇とは何なのか、摂政とは何なのか、どの意味合いで用いているのか
ということは書かれていません

これは憲法を読む上で、天皇や摂政、皇室典範は知っていて当たり前
日本の基本的な歴史は知っていて当たり前
という前提で憲法がつくられているということを示しています

日本の歴史、皇位皇統の意味・位置付け、伝統・文化の変遷・昇華
和とは何か を
「憲法を読み 捉える上での常識、基本前提」としていることになります

また、日本の皇位継承を捉える上でも必要となる基本
王位皇位の世襲方法分類や王皇制のリスクなども 知っていることが前提
ということになります

私が今まで 前回の動画 前半と 今回の動画で
随分と長く基本の話 歴史的な経緯 変遷について話をしてきましたが
それは憲法を読み解くため、憲法の意味を正確に理解するためで
みなさんは もう既に それが出来る段階になっていると思います

それでは 具体的に条文に入りたいと思います
まずは 憲法1条です

日本国憲法 第一条

天皇は、日本国の象徴であり
日本国民統合の象徴であつて、
この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。

これが実際の条文です
仮に Aとします

ここで B の文を見て 比較してもらいたいと思います

天皇は、日本国の象徴的存在であり
日本国民統合の象徴的存在であつて、
この地位は、主権の存する日本国民の合意に基く。

いかがでしょうか

同じような文章であっても
法律分 憲法条文としては 全く意味合いが異なってきます

まずは 「象徴」です 言い切りです
「象徴的 存在」とは意味合い、重み、深さが全く違ってきます

そして 「総意」です 国民の総意
「合意」といった ゆるい言葉 意味合いではありません

国民の「総意」という以上、反対派がいては成り立ちません
どういう前提なら 法律文 それも憲法の条文で
国民の「総意」という言葉が使えるでしょうか
こうした読み方、吟味の仕方が重要になります

日本国憲法では、議会での議決に関する数字は明確に指定されています
例えば
55条 議員の議席を失はせるには、出席議員の三分の二以上の多数による議決を必要とする。
56条 両議院は、各々その総議員の三分の一以上の出席がなければ、議事を開き議決することができない。
57条 出席議員の三分の二以上の多数で議決したときは、秘密会を開くことができる。
などです

こうした数字による規定と
憲法一条における国民の総意に基くという規定は
全く異質で異なるものですから
議会での議決に関わる数的な意味合いとして
「総意」という文言が使われているのではないことは明らかです

これは 日本国 日本人の 歴史を踏まえた文化的な共通認識
普遍的な捉えに基く という意味合いになります
これを条文として書くならば Cの形になります

天皇は、日本国の象徴であり
日本国民統合の象徴であつて、
この地位は、主権の存する日本国民の
歴史を踏まえた文化的普遍的な共通認識に基く。

これが 日本国憲法第一条における 国民の総意の意味合いとなります

今の大人たちは 政治家でも 学者でも
憲法を原文 国語の通りに読まないで
Bの文の様な形で 勝手に自己解釈して 捉え 語っている面が大きいです

しかし、憲法条文は 「象徴」であり、合意ではなく「総意」です
この「総意」が 高度な概念であり 単純な数の概念ではないこと
文化的な概念であることは
条文 国語の意味合いからも分かりますが
過去の国会答弁によっても 明確に示されています

【昭和54年  真田秀夫内閣法制局長官です (4月19日 衆・内閣委員会)】
天皇の地位は主権の存する国民の総意に基づくと書いてございます場合のその総意というのは、一億何千万の国民の一人一人の、具体的な国民一人一人の意思というような意味ではなくて、いわゆる総意、いわゆる総体としての国民の意思ということでございますので、特定の人がその中に入っているとか入ってないとかいうようなことを実は問題にしておる条文ではないというふうに考えられます。

…いまの憲法ができますときに、これは帝国憲法の改正の形をとりましたけれども、当時の帝国議会で衆知を集めていろいろ御検討になって、そして国民の総意はここにあるのだというふうに制憲議会において御判断になった、それがこの条文の規定にあらわれておると、こういうふうに言わざるを得ないのだろうと思います。

そして 実際に「日本国民の総意に基く」の規定が、
他の条文にも掛かり 例えば憲法2条における皇室典範改正を
制限している点についても国会答弁があります
【昭和34年  林修三内閣法制局長官です (昭和34年2月6日 衆・内閣委員会)】
現在の憲法は、もちろん皇位継承のことにつきましては、法律に規定を譲っております。法律である程度のことは書き得る範囲のことがあるはずでございます。しかしこれは憲法第1条が、天皇は日本国の象徴とし、それからその地位が日本国民の総意に基くというこの規定、それから第2条に皇位は世襲のものである。こういう規定と離れて、ただいまの問題を議論することはできないと私は思うわけであります。
…やはりこの象徴たる地位、あるいは国民の総意に基くこの地位というものと 相いれない範囲におけるものは、そこに制約があることは当然だと思うわけであります。

・憲法2条に基く皇室典範の改正においては、憲法1条の「象徴」「国民の総意に基く」という規定と、憲法2条の「世襲」という規定に制限されることが 明確に示されています

文化的な共通認識 国民の常識は
国会の多数決で変えられるようなものではありません
例えば 衣食住 箸の持ち方に関して
グーで握って 刺して食べるものとする
と法律で規定出来ない 常識を変えられないことと同じです

今は 非常に安易に この「総意」という言葉が使われていて
立法府の「総意」だとか
憲法の軽視、蔑ろ、憲法99条 憲法尊重擁護義務に反する捉えが平気で使われている状況です
この点は あらためて憲法論として深めなければならないところと思います

仮に この国民の総意に基づくの規定を 議会における議決の数的な規定として置き換えるならば
衆参両院で2/3以上で可決の上で
その後の参院選による ※過半数改選後に また2/3以上で可決
(※「過半数改選後」ではなく、「半数改選後」と訂正します)
次の参院選によるもう半数の改選後にまた2/3以上で可決
こうした6年以上を経ての連続3回の衆参議決を以て 初めて比較になるか
という重みのある規定 「総意」であって
一時 たった一度の衆参全会一致程度で決せられるレベルの話では全くない
というわきまえこそが重要となります

この点が 天皇 皇位継承における憲法論で 最も大切なところとなります

次に 憲法2条です

日本国憲法 第二条
皇位は、世襲のものであつて、
国会の議決した 皇室典範の定めるところにより、これを継承する。

ポイントは2つです
一つは 憲法条文としての 世襲 という規定について
もう一つは 法律 形式的には国会の過半数で改正が可能な形となっている
皇室典範という法律によって 具体的な継承は定める となっている点です

二つ目に関しては 先ほども紹介しましたが
形式的には 法律 とはいえ
この法律 皇室典範の内容に関しては
憲法1条における 象徴 国民の総意に基く という条文が
非常に重い制限として掛かっていますので
歴史を踏まえた文化的普遍的な共通認識 に反する形で
改正を行うことは出来ない
そうした改正、法律は 違憲立法となる という制限状況になります

また 2条条文における 世襲 の規定ですが
これを解釈する上での大前提があります
それは、この 世襲 という規定が
旧宮家の皇族男子 皇位継承者の即位も含んでいる概念である
という点です

日本国憲法の公布は 昭和21年であり
旧宮家の皇族が皇籍を離脱したのは 翌年の昭和22年という時系列です
昭和22年 皇籍離脱前は継承順で7位から31位という形で皇位継承者の立場にありました
当然ながら いざという際には即位も有り得る形で
憲法2条の 世襲 という規定は 旧宮家の皇族男子 皇位継承者による即位も
含まれた概念となります

そして、この旧宮家は 世襲親王家であり
時の天皇の近親皇族を民間に降下させつつも
血筋的には遠い皇族を 血筋順を超えて宮家、皇族と位置付けて
皇位継承者とし続けて来た存在となります

こうした大傍系 血筋順を超えた位置付けによる継承も含めて
憲法条文においては 世襲 である と定めている形になります

つまりは 神武一系 神武天皇の男系男子による継承を 世襲と規定している形になります
選挙的な形式や 神武一系以外による継承ではない
という意味合いになります
この点に関しても 過去の国会答弁で説明がなされています

この憲法2条からしても
皇室典範の改正による 旧宮家子孫からの皇籍への組み入れ 宮家の設立による
皇統のバックアップ 将来の即位は なんら問題ない形になります

さて ここで
一系継承の本質 その厳しさ 高潔性を示す継承例を紹介します

小中学生でも話が分かりやすいように
架空の設定ではなく あえて今の状況に当てはめた形でシミュレートをしてみます

1 雅子様が妊娠をしたとします
2 妊娠のある程度の段階になれば 胎児が男か女かが分かります
3 胎児が男であり 天皇や政権側は これを認識していたとします
4 妊娠が進み やがて生まれる段階になってきたとします
5 生まれる前の段階で 徳仁天皇が崩御したとします

この場合 皇位継承はどうなると思いますか?

皇室典範4条「天皇が崩じたときは、皇嗣が、直ちに即位する。」
現行の憲法体系、皇室典範の規定においては、以下の流れとなります

6 皇嗣秋篠宮(文仁親王)が即位します

このように 天皇の長男になるであろう子がお腹にいても
男児の誕生を待つことなく その時点での皇嗣がすぐに後を継ぎます

これは 皇位は高度に公的なものであり 一時の空位も許されない
皇位は私物 時の天皇一家の相続物ではないので
一家の都合で 即位を遅らせることはならない
という高度な考え方 天意を従容と受け止める和の心に基くものです

西欧の王室では、胎児の継承権を憲法で明記している国もありますが
一家の相続物と捉える直系継承の考え方と
皇位を預かりものと捉える 日本の皇位継承 一系継承とは
理念が根本的に異なる形になります

こうした流れの中で
7 悠仁親王が継承順1位:皇嗣:皇太子となり 紀子妃が皇后となります 皇室会議の議が必要です
常陸宮:正仁親王が皇位継承順2位となります
8 やがて雅子様が出産をし 男子が生まれたら
その男子 徳仁天皇の長男 は皇位継承順2位となり
常陸宮:正仁親王が皇位継承順3位となります

その後、皇太子悠仁親王が結婚し男子が生まれると
その長男が皇位継承順2位、次男以下が3位、4位…となり
前天皇:徳仁親王の長男はそれに次ぐ継承順となります

その後、皇太子 悠仁親王が即位すると
その長男が皇嗣:皇太子になりその後を継いでいくこととなります
こうして徳仁天皇の長男は 長生きしたとしても
一生天皇になれないままとなります

これが 前回の最後に出したクイズ クエスチョンの答えとなります

日本の一系継承においては 天皇の娘が天皇になれないというだけではなく
天皇の一人息子 長男でも一生天皇になれないことがある規定です
男女差別 女性蔑視などでは全くなく
皇位は家督・相続物ではないという捉え方に基くものとなります


前回の【前半】 その終盤で話をしたように
日本においては 和の国 民のかまどの君民共治
シラスの国としていくために  天皇という存在を位置付け
その天皇が 抑制的な一系継承で 傍系移行を示していくことにより
原点回帰を図りつつ 和を高めていく仕組みになっています

日本人が 今後 何度憲法を作り直すとしても
日本とは何か 何を守り 何を伝え 高め 国をよくしていくか
という意味で
和の国と天皇 一系継承によって君民共治を続けていく理念 仕組みは
採用され続けるであろう

そうした認識 普遍的な感覚をして
国民の総意に基く と憲法規定されているものとなります

また 今後万世に渡って こうした一系継承を続けていこう!
という未来への誓い、希望を込めて
「万世一系」と言っているものとなります

あらためて
皇統 一系継承の再確立 という意味で
旧宮家の子孫から 数名を 皇籍に組み入れて
宮家を設立することが重要となります

当然ながら 養子は無用です
皇籍に組み入れた当人が 継承順を持つことになります
次に生まれた子から などという考えは不要です

これを進めることが 今 平成 令和の時代における
当事者意識 当事者責任 となります

日本人に生まれた私たちにとって
憲法1条の 国民の総意に基く という規定は
人生の宿題 人生ゲーム 人生すごろく のようなものと思います

これは 勝ち負け どちらが勝ち というものではなく
みんなが「上がり」となって良いゲームとなります

その時代に どれだけ多くの日本人が 上がりとなっているか
ゲームをクリアしているか 卒業証書をもらっているか

上がりの人が 多ければ多いほど その時代は豊かになる
和が浸透して やさしい代 幸福な代になる
そういうものに思います

そして 今のアフィリエイトの感覚で言うならば
どれだけ自分の紹介 案内によって 上がりの人を増やせたか
お天道さまがちゃんと見ていて
上がりの人を増やした人に 増やした分だけ
後からアフィリエイト報酬をくれる
人生の特典をくれる そういうゲームのようなものと捉えます

一旦緩急あれば義勇公に奉じ というのはそういう意味も含まれ
公心に基いて 為すべきと思うところを為したとき
天からご褒美をもらえる形になると 思います

私物化を戒める社会になれば それだけでも大きなご褒美ですし
自分にメリットが返ってきます
それ以外でも 個別のご褒美も あると思います
それぞれの形で

ぜひ この動画を見たみなさんで
将来 総理大臣になって 内閣を作って
日本の建て直し 和の心による国づくりを進めてください

これで 小中学生のための天皇・皇位継承論 1 を終わります
長い動画を 最後までご覧いただきまして ありがとうございます

以上

https://www.youtube.com/watch?v=_A9QWyjEE50
62分30秒

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