皇統護持、バックアップという意味で、世襲親王家・世襲宮家の位置付けからは先人の深謀遠慮、卓越が見て取れます。
本統(天皇→皇嗣)の他に複数の宮家・予備的継承者を立てて同時並行でバックアップを流す意味において、本統から近い順だけでなく順番を飛ばしつつ遠縁の系統も世襲親王家・世襲宮家と位置付けて同時並行バックアップに組み込んでおくという知恵です。
憲法2条における「世襲」の規定は旧宮家=世襲宮家の存在が前提となっていて、その即位も含めて「世襲」と位置付けているものであり、これらも含めて憲法1条において「象徴」「国民の総意に基く」と規定されている形になります。
1946年 昭和21年11月3日 日本国憲法憲法 公布 象徴 国民総意 ↓
1946年 昭和21年11月26日 皇室典範 国会に法案提出
1946年 昭和21年12月24日 皇室典範 国会で議決 男系男子
1947年 昭和22年1月16日 皇室典範 公布
1947年 昭和22年5月3日 日本国憲法 施行 皇室典範 施行
※男系男子による天皇の地位が国民の総意に基くものとして施行された
旧宮家は皇族・宮家であり旧宮家男子は皇位継承順を有していた(7位~32位)
憲法2条の世襲は旧宮家皇族の即位を含む
1947年 昭和22年10月14日 いわゆる旧宮家(11宮家51名)が皇籍離脱
日本国憲法の施行日である昭和22年5月3日において、旧宮家は皇族・宮家であり、旧宮家男子皇族は皇位継承者として皇位継承順(7位~32位)も有していた経緯ですから、憲法2条における「世襲」概念においては旧宮家の存在、即位可能性が勘案され含まれたものとなります。
よって憲法2条における天皇の世襲においては、五世孫以遠でも良い、大傍系からの即位でも良い、時の天皇から親等が近い順ではなく一部の近親を順番飛ばしした形での即位でも良い、そうした継承も含めて「世襲」の継承であると位置付けられている、規定されているということになります。
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そもそも皇位の由来は初代:神武天皇、日本建国の和にあります。
「民のかまど」「シラス(しらす)」「君民共治」といった和の理念をいかに受け継ぎ、高めていくか、損ねないかということが皇位継承においては重要となります。
時の天皇系統、本統は絶対的なものではなく、その系統に皇位の由来、正統性があるわけではありません。
むしろ時の天皇系統による私物化、神武系統からの由来転換を戒める考え方が重要となります。
こうした意味合いにおいて、時の天皇系統に近い近親順だけですべての宮家・継承者を確保するのではなく、一部は近親順を飛ばして遠縁の大傍系を宮家と位置付けバックアップの一翼として確保していくのは理に適っています。
皇位の由来、宮家位置付けの由来が初代神武天皇にあるのであって、時の天皇、その系統に由来、絶対性があるのではないという示し、牽制ともなります。
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またバックアップにおいて重要なのは、本統が機能不全になるのと同じ理由でバックアップ系統が機能しなくなるのを避ける意味での備え、リスク分散となります。
他国王皇における王統断絶・皇統断絶の教訓を踏まえた備え、リスク回避という意味において、いざという際の責任・連座の回避、民の信頼の損ねのダメージコントロールという面でも世襲宮家・大傍系の位置付けは有効となります。
仮に本統が民の信頼を失った際において、宮家が本統の近親順だけだと「連座」を問われて全滅的、皇室全体への信頼が損なわれる場合もあります。
こうした際に本統とは遠く離れた大傍系を宮家として位置付けておくと、民の意識・感情という面で「連座」の意識は薄まり、本統系は身を引き皇位を大傍系に委譲とするなら良いか、という収まり具合も出てきます。
リスク、民の信頼損ねを、最悪の事態(他国では王統断絶・国王処刑・恐怖政治等の歴史・実例もあり)に至らせないで何とか収める意味合いで、本統とは離れた存在をバックアップとして位置付けておくことは有効となります。
実際に事が起こるまでは、「傍流の傍流」「窓際宮家」的な国民意識で世襲宮家・大傍系は捉えられる形にもなりますが、それが悪いことではなく、いざという際の避難先として有効となるのです。
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また別の観点でのリスク分散、本統と同じ理由で機能不全とならないようにという意味では遺伝的な面もあります。
近親順でのバックアップ、親族揃えですと、環境の変化等(ウィルス、原発事故・放射性物質拡散等々)により病気や継承者が生まれにくいという状況が発現した際に、多くの宮家で同じ理由、遺伝的要因によって本統と同じように機能不全となるリスクが高くなる恐れがあります。
こうした際においても、遠縁、大傍系の世襲宮家があれば、本統とは別の形で損なわれずに残る、機能していける確率、回避可能性は高くなります。
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これらのことを勘案すると、本統とはあえて離れた遠縁、大傍系を世襲親王家・世襲宮家という形で位置付けて残して来た先人の深謀遠慮の深さ、卓越には驚嘆させられます。
世襲親王家・世襲宮家の位置付けを決めた時点で、いわゆる「五世孫」の考え方は有効でないものと否定され、時の天皇系統から数百年離れた大傍系でも皇族として存在してよい、いざという際に即位してよい、そうしたやり方が安定した皇位継承、確かなバックアップの仕組みだと位置付けられたことになります。
こうした深い知恵を受け継いだ現世、我われは、この考え方を活かしつつ、更に柔軟強固なバックアップを整備していくことが重要となります。
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まずは、世襲親王家・世襲宮家の流れをくむ旧宮家の子孫から皇籍へ組み入れ、宮家を設立して皇位継承者とすることが重要です。
長年における世襲親王家・世襲宮家の維持、脈々たる備えが発揮されるのはまさに今の状況となります。
皇位継承における世襲、皇室典範の根本理念は、典範1条に規定される通り「皇位は、皇統に属する男系の男子が、これを継承する」(民間にある神武男系男子は千万単位)という形になります。これは憲法1条(象徴、国民の総意に基く)、2条(世襲により継承、皇室典範で定める)と整合し、皇位継承者の不足・不在により天皇が不在・空位になることはないという規定です。
一方皇室典範においては、第2条で「皇位は、左の順序により、皇族に、これを伝える」との形で「皇統に属する男系の男子」でありつつ「皇族」という条件を規定しています。
そして、15条で「皇族以外の者及びその子孫は、女子が皇后となる場合及び皇族男子と婚姻する場合を除いては、皇族となることがない」と規定していて、皇族が全員いなくなった場合、皇族に男系男子の継承者がいない場合に対処出来る、天皇の空位を回避する規定は設けられていません。
すなわち、憲法1条、2条と、皇室典範1条、2条は整合しているのに、典範15条がそれらに矛盾し不整合で危機における皇室再建の重大な障害になっているという状況となります。
あらためて、民間にある「皇統に属する男系の男子」を皇族に組み入れる規定を整備(皇室典範15条等を改正)することが必要となります。
そもそも皇室典範の施行(1947年 昭和22年5月3日)に際しては、明治の皇室典範の効力がなくなることにより皇族身分の根拠を失う=一般国民となる皇族(筆頭は明仁皇太子)の皇族身分を維持する意味で、皇室典範の「附則」によって”この法律による皇族とする”旨規定されています。
皇室典範 附則
② 現在の皇族は、この法律による皇族とし、第六条の規定の適用については、これを嫡男系嫡出の者とする。
このことからも明らかなように、そもそも天皇・皇族自体が日本国民であり、日本国民の中から初代神武天皇との繋がり、建国の和への原点回帰性により「皇統に属する男系の男子」の立場で皇族となり、皇位継承順に従い天皇となるというのが日本の皇位継承システム、憲法・皇室典範の根本となります。
日本の国民の中から門地=神武天皇からの繋がり:皇統に属する男系の男子により皇族となり、天皇となりますが、この世襲は非常に限定的な「制限世襲」であり、皇位・皇族身分は門地特権・直系利権として永続化は出来ないようになっていて、数世代毎に天意に基き入れ替わる制度設計になっています=皇位は預かりもの。
この意味で、天皇・皇族の身分は永続的な門地特権ではなく生まれ差別・人間差別・門地差別禁止の理念と根本矛盾しないもの、「預かり世襲」として捉えられます。
こうした制限世襲・預かり世襲による皇位継承・天皇存在・皇族身分だからこそ、和・君民共治の理念にも整合・体現するものとして憲法1条で「象徴」「国民の総意に基く」と高尚に規定されることとなります。
これこそが、憲法1条、2条と14条の整合、”飛び地”などではなく生まれ差別・門地差別禁止と根本矛盾しない世襲・象徴・天皇・皇族・皇位継承の在り方となります。
実際の皇籍への組み入れにおいては、神武一系の正統継承者という位置付け・由来に鑑み、現行法制:皇室典範の条文に則って養子などではなく直接的な組み入れとすることが重要です。
(この意味で「護る会」の提言は伝統、法制を損ねるものとなります
旧宮家の子孫の方々に非常に無礼な「護る会」の提言 養子前提など不見識も甚だしく)
もちろん女性皇族との婚姻も(婿養子に限らず、それ以外の形でも)無用です。むしろ内親王が結婚後も皇族身分を確保するために男系男子・皇位継承者を便利な道具的に扱うことを禁じる意味で婚姻は禁忌事項、皇室会議では不相当の議決が必要という議論、国民的な再確認が重要と捉えます。
また、皇位継承順を割り振るに際して、復帰一代目は除外して次に生まれた者から順位を付けるなどという姑息、弥縫策は避け、組み入れた当人を正統継承者として順位付けすることが重要となります。
(第119代光格即位における婚姻に絡めての一代飛ばし、皇位継承者の便利道具扱い、その後の「尊号一件」の教訓を活かし、現在に再現することのないようにしなければなりません)
皇位の由来、継承の正統性は、あくまで神武一系によるものであり、時の天皇、本統との近さではありません。
皇位の私物化、由来の転換を戒め、国民全体で再共有する意味でも、組み入れた当人を正統継承者として位置付けて、皇統バックアップの宮家体制としていくことが重要となります。
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世襲親王家・世襲宮家の深い知恵、超長期的な歴史の営み・修正力という意味では、旧宮家が単なる世襲親王家・世襲宮家ではなく南北朝に遡る世襲親王家の流れをくむ点に壮大なドラマを感じます。
皇統の歴史は良い例ばかりではなく教訓例もあります。
具体的には2例、後世の戒めとして捉えなければならない継承例があると考えます。
1 第45代聖武 → 46代孝謙 私物化継承 わが子かわいさ
2 第108代後水尾 → 109代明正 私物化継承 わが子かわいさですらないわが身かわいさ
1 第45代聖武 → 46代孝謙
聖武には息子がおらず(夭逝)、直系で次代を継げないにも関わらず娘を即位させた
一般的に女性天皇は繋ぎの天皇とされますが繋ぎですらない
孝謙は一旦退きつつも再び即位して称徳となり道鏡事件に至る
※聖武の系統は途切れています
2 第108代後水尾 → 109代明正
結果的に明正の後は弟が継いでいて「繋ぎ」のようにも見えますが、明正の即位時点=後水尾の譲位時点では110代の後光明、111代後西、112代霊元は生まれていません
息子がなく譲位したのならば傍系(後水尾の弟等)に継がせなければならないのが一系継承です
それを息子がいない中で娘に継がせておきつつ、その後に息子が生まれたからよいではないかというのは皇位皇統を私物扱いしての軽しめとなります
後水尾はそれだけでなく、自らが上皇という立場にありつつ、後光明の怪死もありますが息子を連続的に即位させ、譲位させ、順繰り即位、一家での回し即位、一家利権としての天皇在位のような継承をしています
そしてこの息子たちの母親はすべて別人です
天皇・上皇の地位を利権として扱い、自分の女になって息子を産めば天皇にしてやるという形で、息子たちを連続的に即位させ、辞めさせ、各母親の息子を天皇とさせた経緯となります
非常に皇位の私物化の極まった在り様であり、後に世襲宮家として皇位を継いだ閑院宮(第119代光格)もこの後水尾の系統となり、今も平成、令和として続いている形になります
今後、旧宮家子孫が皇位を継ぐとすれば、後水尾以前に遡って世襲親王家・世襲宮家の伏見宮系統が皇統を受け継ぐ形となり、文化的な意味でも非常に意味の大きい「皇統転換」となります。
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皇統の歴史、各皇位継承の見方、聖武や後水尾の評価は人により様ざまで異なる面もあろうかと思います。
しかしながら、皇位の由来は初代神武・建国の和という中での世襲親王家・世襲宮家の位置付けは、仮に途中で皇統・皇位を損ねるような継承、在位(上皇含め)があったとしても、長い歴史の中で皇統転換によって清浄化され得るという救いの意味合いも持つことは、メリット、共通認識として共有出来るものと考えます。
これまで皇位継承の危機は、継承者を降下させ過ぎるという形で度々起こって来ています。
これは時の天皇、本統による皇位の私物化目論見、なるべく宮家・継承者を排除しておきたいという下心による面もありますが、あまりに近視眼で安易に生死を考える面、また生まれるだろうと高をくくって、皇族・皇位継承者が増え過ぎたら困るなどという浅薄によって生じてきていることは大正の先例等を見ても明らかです。
今後は、継承者・宮家を安易に絞らないこと、民間に降下させないことが重要となります。
人知を超える生命、生死、誕生というものを謙虚に受け止めることが重要です。
それこそが本来の「和」となります。
人為でコントロール出来ない面を謙虚に受け止め、皇統の維持には一定の宮家数が必要でその分のコストは掛かることをしっかりと前提として踏まえることが重要です。
むしろ、宮家を少なくして継承者が足りなくなる中での本統による私物化、既得構造の固定化による国民意識の乱れ、民のかまどと対極の民からの収奪(国民の餓死、凍死、自殺者増)、近視眼での「天皇の娘もよいではないか」という状況によるコスト(民の被害)、そこから建て直すための国家的コストの方がよっぽど多く掛かることに着目し、肝に銘じるべきです。
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今後、旧宮家子孫からの皇籍への組み入れ・宮家設立がなされ、安定して継承者が増えて来たならば、東京だけに宮家を置くのではなく、地域的にも宮家を分散して皇統のバックアップを図る発想も重要となりましょう。
また、傍系移行による原点回帰をしっかりと機能させていく意味においては、直系が続き過ぎて世の既得権が固定化し乱れた場合に、あえて傍系に移行させる「大禅譲」等の位置付けも今のうちから検討がなされるべきと考えます。
いずれにしても皇位継承は回数的には125回でまだまだ確立されたものではなく、先人から受け継ぎつつも更に高め、安定度を増した形で次代に渡していく責任があります。
こうした議論方向こそが本来的で、建設的な形となります。
あらためて現状の不備を正した上で、こうした本質議論、より高める議論、国の建て直しこそ進めていきたいものです。