憲法1条の意味、重み

日本国憲法第一条の「国民の総意に基く」という規定は、数の概念を示す文言ではありません。
「日本国民の歴史を踏まえた文化的普遍的な共通認識に基く」という意味合いとなります。

「日本国民の”至高の”総意に基く」というのが日本国憲法の当初案として国会に提示されたものでしたが、「国民主権」の明確化という中で文言が修正された形となります。(→「主権の存する日本国民の総意に基く」)
本来、主権が国民に存することと、主権者たる国民の”至高の”総意に基き皇位が位置付けられるということとは何ら矛盾しませんので、「国民の総意が時々で左右出来るような安易なものではない、数の概念ではない」という点で誤解を招かないように「至高の」を削らずに残しておいた方がより明確だったと思います。
(「この地位は、主権の存する日本国民の至高の総意に基く」)
しかしながら「国民の総意」というだけでも非常に重い言葉、概念ですので、それを憲法の条文において用いる前提は何なのか、どういう前提があればこの文言を用いて憲法規定し得るのかをよくよく考えることが重要となります。

先人への敬意が重要であり、近視眼(今・現世至上的)での客体意識(責任者がやるべきことで自分はお客さん、選ぶ人、責任はない)とは別に、長期視点で過去(先祖)・未来(子孫)から今の時代:現世を預かっている一員=当事者としての主体意識・当事者責任感覚、和の心が重要となります。

日本国憲法においては、
1条において「天皇」を記載し、
2条において世襲、「皇室典範」を記載し、
5条において「摂政」を記載しています。
しかしながら各記載においては各文言(「天皇」「皇室典範」「摂政」)の定義、前提説明等は特別に記していません。
(天皇とは何なのか、摂政とは何なのか、どの意味合いで用いているのか等)

これは、日本の歴史、皇位皇統の意味・位置付け、伝統・文化の変遷昇華を「憲法を読み捉える上での常識、基本前提」としていることの証左となります。
まずこの面での常識、基本の歴史捉え、文化捉えが必要ということになります。
「民のかまど」、「君民共治」といった天皇の基本的な在り様、国民との関係性に関する特徴、日本らしさ、「和」とは何か、「和」の神髄とは何かという文化論の踏まえが必要です。

皇位は預かりもの 君民共治

シラスと皇位継承 シラスが成り立つのは無私抑制の一系継承:傍系移行=天皇の国譲りによってこそ

また、単に日本の歴史、皇位皇統の意味・位置付けというだけでなく、世界史的な王統皇統の位置付け、各経緯等、日本の皇統との相違等に関しても基本的な踏まえがあることが前提となります。
即ち、各国の歴史においては王統皇統の断絶があり、王皇の処刑や恐怖政治(国民同士の殺し合い)の経緯もあった点、そして日本においては皇統の断絶はなかったという点、その相違の理由等に関してです。

王皇の制度は安定している時は良いですが、一旦不安定になると王皇の処刑や国民同士の殺し合いにも発展し得る非常に危うい、リスキーな制度となります。
日本においては断絶がなく続いてきたことからこうした面での認識は甘い面がありますが、日本においても安易に在り様、位置付けを変えたら、他国と同じように皇統の断絶に至りかねないという歴史に対する慎重さ、先祖・子孫から預かっているという歴史感覚、役割意識が必要となります。

なぜ日本の皇統は断絶がなく続いてきたのか、他国の王皇とどういう位置付けの相違があるのか、その相違と継承方法の関連はどうなのか、などなど。
こうした歴史認識、文化理解がないと、憲法が読めないこと、天皇をして「国民統合の象徴」「国民の総意に基く」と規定、文言表現している意味合いが理解出来ないこととなります。

※例えばベルギー王国では、憲法で王の子孫・王位継承者が不在の場合、両院(元老院・代議院)の2/3による後継者の議決・指名が無ければ国王は空位(→ 王室廃止)になると規定されています
(既得権としての現状の王位・王制は認めつつも)継承者が生まれない、死亡の場合は、国王は無くても良い、王室は絶対的に必要な存在ではない(一つの議院で1/3超の反対があれば後継者は王となれない=多数決51%よりはるかに少ない34%の反対でも簡単に王制廃止可能)という位置付けとなります
そもそも西欧の王と日本の天皇は国・国民との関係における位置付けが大きく異なるものであり、日本における「象徴」「国民の総意に基く」という憲法の規定がいかに重いものか、天皇の不在・空位など認められない規定かがあらためて認識されます

これらが憲法、特に天皇に関する条項を読む際の前提条件となります。

王位皇位の世襲方法分類 直系か一系か

国連、外国人の女性天皇質問に際しての応答例

* *

憲法1条における「国民の総意に基く」という規定と数の概念に関して。

憲法における数の概念、議決等との関わり関しては、以下のような具体的な記述となっています。

53条 いづれかの議院の総議員の四分の一以上の要求があれば、内閣は、その召集を決定しなければならない。
55条 但し、議員の議席を失はせるには、出席議員の三分の二以上の多数による議決を必要とする。
56条 両議院は、各々その総議員の三分の一以上の出席がなければ、議事を開き議決することができない。
57条 但し、出席議員の三分の二以上の多数で議決したときは、秘密会を開くことができる。
などなど。

これに対して憲法1条は以下の条文、規定となります。
A 憲法1条 天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。

ここで参考、比較の意味で以下の文:Bを並べます。
B 天皇は、日本国の象徴的存在であり日本国民統合の象徴的存在であつて、この地位は、主権の存する日本国民の合意に基く。

上記、憲法1条の条文とBの文とは似て非なるものであり、全く意味合いが異なってきます。
日本国憲法においては「象徴的存在」ではなく「象徴」との言い切りであり、「合意」ではなく「総意」と表現されていて非常に重い規定となります。
今はBの文と同様な形で安易に解釈、捉えをした議論も目につきますが、全く異なる表現であることを上記比較の上であらためて確認をすべきです。

「国民の総意」を数の概念として捉えるということは、本来「総意」=反対者は一人も居ないということになりますが、実際には様々な立場がありますから、例えば「国民の8割が女性天皇に賛成だから、女性天皇可能とすべき!」というのは2割の反対者がいることを前提としつつも、その言論を封殺し思想を圧殺し、その存在を無しとして良いもの、無視して良いものとして「総意」とゴリ押しする日本語の破壊・全体主義に他ならず、リベラルの対極となります。
憲法条文では「合意」ではなく「総意」と規定しているものであり、「総意」というのは安易な言葉、概念(言論圧殺、思想封殺で少数派を無視して良いとするもの)ではありません。

当然ながら、日本においても天皇に関してといえども、国民一人ひとりによる捉えの違い、賛否の違い等はあり(日本国憲法制定時も一定数の天皇反対者は存在していた)、それは憲法制定においても当然の前提、認識となっています。
すなわち、「国民の総意」とは数の概念を示す文言、条文ではなく、国民全員の賛意を強要する根拠になるものでもなければ、一時の国民世論、議会の大多数や全会一致レベルで決し得るものでもないことになります。
そもそもの憲法案では、「日本国民の”至高の”総意に基く」と「総意」の高度さがより強調された形になっていました。この趣旨をしっかりと踏まえるべきです。

「国民の総意」と憲法条文において文言表現出来るのは、それだけ確固たる究極的な=至高の、幾世代にも渡る歴史を踏まえた文化的な共通認識があるという場合になります。
すなわち、日本建国以来、天皇と国民とで「力は正義、正義は力」の「覇道」ではなく「和」「普遍的な理念・価値に基く合意」による「天道」のもとに高めて来た「君民共治」の国の在り様、天皇と国民の関係性を大切に誇りに思う高度な共通認識をして「国民の総意に基く」という美称表現で規定しているものとなります。
今後いつの時代でも、何度議論をしても、しっかりとした国民議論、文化議論を踏まえるならば同じ結論となる、という普遍的な枠組みの捉え=至高性認識があってこその文言表現となります。
天皇の地位は、主権の存する「日本国民の歴史を踏まえた文化的普遍的な共通認識に基く」という意味合いとなります。

C 憲法1条 天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の歴史を踏まえた文化的普遍的な共通認識に基く

ここで、憲法の1条とその他の条文(下位条文)との関係性・整合に関してですが、一般的な上位条文優位はもちろんですが、1条の中身の問題として「日本国の象徴」「日本国民統合の象徴」「日本国民の総意に基く」と規定されている意味は重く、”下位条文・理念とも根本矛盾しない”という捉えが重要となります。
国にとって重要な事柄を憲法条文に規定するのであり、この理念と根本矛盾する天皇・皇位の位置付けならば「象徴」「国民総意」足り得ません。

日本国憲法は非常に高度に作られているものであり、例えば、憲法14条の門地差別禁止の理念と天皇・皇族・皇位継承も根本矛盾しないという前提で捉えるべきで(実際、天皇・皇族・皇位継承における門地的位置付けは非常に限定的)、安易に”飛び地論”などで解釈するのは不相当、憲法の高度さの理解・先人への敬意の不足と捉えます。
この面、いわゆる男系派、伝統派の中にも安易な言説が多く見受けられます。

万世一系は過去の礼賛、無謬論ではなく現世を縛り未来に和の普遍理念を繋ぐ美称表現

「国民の総意に基く」の解釈に関し、衣食住の文化で例えるならば、「箸をグーで握って物を刺して食べない」ということが日本人の常識、「歴史を踏まえた文化的普遍的な国民の共通認識」となっている状況と重なるものとなります。

実際に箸を使わないで食べる国民がいたとしても、国民の共通認識として「箸をグーで握って物を刺して食べない」ということは揺るぎません。
また、政治家、国会の議決によってこうした文化、共通認識を変えられるものでもありません。

こうした意味合い、縛り・縛られない具合が「国民の総意に基く」という条文規定の意味合いとなります。

こうした憲法条文の読み解きは、本来は日本語・国語としての文言解釈、そして歴史・文化等の踏まえから帰結的に導かれるもので、知を示すものとなります。

実際、過去の国会議論、内閣法制局長官の答弁においても、上記趣旨の説明がありますので以下に紹介します。
※文字色が赤色となっている部分は私の意図によるものです

https://www.kantei.go.jp/jp/singi/koumu_keigen/dai1/sannkou4.pdf

「日本国民の総意に基く」の意味が 数の概念ではない点に関して
2ページ
【内閣法制局長官 真田秀夫君(昭和54年4月19日 衆・内閣委員会)】
天皇の地位は主権の存する国民の総意に基づくと書いてございます場合のその総意というのは、一億何千万の国民の一人一人の、具体的な国民一人一人の意思というような意味ではなくて、いわゆる総意、いわゆる総体としての国民の意思ということでございますので、特定の人がその中に入っているとか入ってないとかいうようなことを実は問題にしておる条文ではないというふうに考えられます。

…いまの憲法ができますときに、これは帝国憲法の改正の形をとりましたけれども、当時の帝国議会で衆知を集めていろいろ御検討になって、そして国民の総意はここにあるのだというふうに制憲議会において御判断になった、それがこの条文の規定にあらわれておると、こういうふうに言わざるを得ないのだろうと思います。

憲法1条の「象徴」「日本国民の総意に基く」の規定が、 憲法2条における「世襲」「皇室典範」の改正を制限している点について
4ページ
(2)天皇の退位
① 退位の憲法許容性
【内閣法制局長官 林修三君(昭和34年2月6日 衆・内閣委員会)】
現在の憲法は、もちろん皇位継承のことにつきましては、法律に規定を譲っております。法律である程度のことは書き得る範囲のことがあるはずでございます。しかしこれは憲法第1条が、天皇は日本国の象徴とし、それからその地位が日本国民の総意に基くというこの規定、それから第2条に皇位は世襲のものである。こういう規定と離れて、ただいまの問題を議論することはできないと私は思うわけであります。

やはりこの象徴たる地位、あるいは国民の総意に基くこの地位というものと相いれない範囲におけるものは、そこに制約があることは当然だと思うわけであります。これはやはり皇位というものは世襲のものである。それから古来ずっと一つの系統で受け継がれてきているということと、それからそこに天皇が過去においてはもちろん譲位ということはあったわけでございます。そういうことはありましたけれども、ただいま申し上げたような御地位、それからこの天皇のそういう象徴たる地位から考えまして、御自分の発意でその地位を退かれるということは、やはりその地位と矛盾するのではないか、これはやはり幾多過去の例からいっても、いろいろ弊害があったこともございます。これは一言で申しまして、天皇には私なく、すべて公事であるという考え方も一部にあるわけであります。やはり公けの御地位でございますので、それを自発的な御意思でどうこうするということは、やはり非常に考うべきことである。そういうような結論から、皇室典範のときには、退位制は認めなかったのであるということを、当時の金森国務大臣はるるとして述べておられます。

憲法2条に基く皇室典範の改正においては、憲法1条の「象徴」「国民の総意に基く」という規定と、憲法2条の「世襲」という規定に制限されることになります。
※日本国憲法の公布、施行と旧宮家の皇籍離脱は以下の時系列となります
1946年 昭和21年11月3日 日本国憲法 公布
1946年 昭和21年11月26日 皇室典範 国会に法案提出
1946年 昭和21年12月24日 皇室典範 国会で議決
1947年 昭和22年1月16日 皇室典範 公布
1947年 昭和22年5月3日 日本国憲法 施行 皇室典範 施行
 ※男系男子による天皇の地位が国民の総意に基くものとして施行された
  旧宮家は皇族・宮家であり旧宮家男子は皇位継承順を有していた(7位~32位)
  憲法2条の世襲は旧宮家皇族の即位を含む
1947年 昭和22年10月14日 いわゆる旧宮家(11宮家51名)が皇籍離脱

日本国憲法の施行日である昭和22年5月3日において、旧宮家は皇族・宮家であり、旧宮家男子皇族は皇位継承者として皇位継承順(7位~32位)も有していた経緯ですから、憲法2条における「世襲」概念においては旧宮家の存在、即位可能性が勘案され含まれたものとなります。
よって憲法2条における天皇の世襲においては、五世孫以遠でも良い、大傍系からの即位でも良い、時の天皇から親等が近い順ではなく一部の近親を順番飛ばしした形での即位でも良い、そうした継承も含めて「世襲」の継承であると位置付けらている、規定されているということになります。

これらを勘案すると、非常に硬性の高い形で縛られている法体系であり、歴史・伝統の昇華に反して安易に変えることは出来ない規定になっていることが読み解けます。

憲法2条 「世襲」の意味

そもそも皇位を預かりものと捉え私物化しない、より積極的に(娘がいても、胎児の長男がいても)傍系に渡す抑制的な一系継承だからこそ究極の無私=仁として尊敬され、世の既得権構造:民からの収奪を抑止しリセットする存在として「君民共治」が成り立ちます。
そのように歴史の教訓を踏まえつつ高められてきた歴史があります。
それ故に、「国民の総意に基く」=「歴史を踏まえた文化的普遍的な国民の共通認識に基く」と規定されている形になります。

天皇は一見生まれ・門地による地位差別、世襲差別の存在のように見えますが、その世襲の中身は西欧王室のような利権世襲・門地直系独占世襲ではなく預かり世襲・非独占世襲となります。
実際、法制上の天皇・皇族における門地的位置付けは非常に限定的であり、終身利権化や代々に渡る固定的な特権維持が出来ない仕組み、数世代毎に入れ替わるような制度設計になっています。
例えば天皇・皇太子の長男として生まれればその長男は天皇となりますが、わが子に世襲させられるかと言えばそうとは限りません。娘だけで息子がいない場合は世襲させられませんし、長男であっても妊娠時崩御のような場合は世襲させられない規定になっています。
天皇の長男でも天皇になれない妊娠時崩御 家督・相続物でない証左

非常に制限の大きい世襲規定であり、門地利権・直系の独占物という形で私物化が出来るような特権的な地位・世襲とはなっていません。
短期ではなく中期:数世代で見るとやがて他家に譲る形になる地位・世襲となります。
(また女性皇族に関しても民間人との結婚により皇族の立場を離れる形での規定となっていて、立場を世襲で終身利権化出来る規定にはなっていません)
この意味において天皇・皇室における世襲規定は、憲法14条の法の下の平等、門地差別禁止の理念と根本矛盾するものではなく、中長期で(輪廻輪番的に)天皇・皇族・国民がそれぞれの立場で役割を担うという高度な、和的な位置付けとなります。
こうした抑制的で和的な位置付けだからこそ、憲法1条において「象徴」「国民の総意に基く」と規定されるのであって、天皇・皇族を安易に憲法の例外・飛び地論などで捉えるのは不相当です。
こうした捉えでは、”飛び地”を言い訳にしての門地利権化・直系利権化=女性天皇(娘継承)、女性宮家・皇女制、養子などの論を助長しかねません。

既得権層による民からの簒奪は、いつの世でもどの国でも、国が衰退していく悪い状況となります。
日本でもそうした状況は起こり得ます。
仮に、天皇の制度、憲法上の位置付けをなくしたら、格差や既得権構造はなくなるでしょうか。
いわゆる「上級国民」と一般国民の乖離はなくなりますでしょうか。

そうはならない、なくなりはしない、というのが先人の経験、知恵となります。
あえて天皇という特別な地位を国として位置付けつつ、その天皇が皇位を私出来ない、娘がいても傍系他家に渡さなければならないという規定、縛りを維持することで、特別な地位の天皇との繋がりにより利権を得たいと群がっていた既得権層が上位の利権を失い、傍系天皇が最上位となり利権構造がリセットされていくという意味合いが皇位継承、一系継承:傍系移行には組み込まれています。
和の原点回帰システムが組み込まれているのが一系継承、直系で私しない傍系移行であり、これが君民共治の基礎、他国の王皇と違って皇統が断絶せずに続いてきた秘訣となります。

「民の奔流」の恐ろしさ 王統断絶・国王処刑の西欧歴史

今後、実際の皇位継承規定の再確立・法整備という意味では、皇位継承における世襲、皇室典範の根本理念の確認が重要で、典範1条に規定される通り「皇位は、皇統に属する男系の男子が、これを継承する」(民間にある神武男系男子は千・万単位)という形になります。これは憲法1条、2条(世襲により継承、皇室典範で定める)と整合し、皇位継承者の不足・不在により天皇が不在・空位になることはないという規定です。
一方皇室典範においては、第2条で「皇位は、左の順序により、皇族に、これを伝える」との形で「皇統に属する男系の男子」でありつつ「皇族」という条件を規定しています。
そして、15条で「皇族以外の者及びその子孫は、女子が皇后となる場合及び皇族男子と婚姻する場合を除いては、皇族となることがない」と規定していて、皇族が全員いなくなった場合、皇族に男系男子の継承者がいない場合に対処出来る、天皇の空位を回避する規定は設けられていません。
すなわち、憲法1条、2条と、皇室典範1条、2条は整合しているのに、典範15条がそれらに矛盾し不整合で危機における皇室再建の重大な障害になっているという状況となります。
あらためて、民間にある「皇統に属する男系の男子」を皇族に組み入れる規定を整備(皇室典範15条等を改正)することが必要となります。

究極例:東京隕石衝突における皇位継承

そもそも皇室典範の施行(1947年 昭和22年5月3日)に際しては、明治の皇室典範の効力がなくなることにより皇族身分の根拠を失う=一般国民となる皇族(筆頭は明仁皇太子)の皇族身分を維持する意味で、皇室典範の「附則」によって”この法律による皇族とする”旨規定されています。

皇室典範 附則
② 現在の皇族は、この法律による皇族とし、第六条の規定の適用については、これを嫡男系嫡出の者とする。

このことからも明らかなように、そもそも天皇・皇族自体が日本国民であり、日本国民の中から初代神武天皇との繋がり、建国の和への原点回帰性により「皇統に属する男系の男子」の立場で皇族となり、皇位継承順に従い天皇となるというのが日本の皇位継承システム、憲法・皇室典範の根本となります。
日本の国民の中から門地=神武天皇からの繋がり:皇統に属する男系の男子により皇族となり、天皇となりますが、この世襲は非常に限定的な「制限世襲」であり、皇位・皇族身分は門地特権・直系利権として永続化は出来ないようになっていて、数世代毎に天意に基き入れ替わる制度設計になっています=皇位は預かりもの。
この意味で、天皇・皇族の身分は永続的な門地特権ではなく生まれ差別・人間差別・門地差別禁止の理念と根本矛盾しないもの、「預かり世襲」として捉えられます。
こうした制限世襲・預かり世襲による皇位継承・天皇存在・皇族身分だからこそ、和・君民共治の理念にも整合・体現するものとして憲法1条で「象徴」「国民の総意に基く」と高尚に規定されることとなります。
これこそが、憲法1条、2条と14条の整合、”飛び地”などではなく生まれ差別・門地差別禁止と根本矛盾しない世襲・象徴・天皇・皇族・皇位継承の在り方となります。

実際の皇籍への組み入れにおいては、神武一系の正統継承者という位置付け・由来に鑑み、現行法制:皇室典範の条文に則って養子などではなく直接的な組み入れとすることが重要です。
(この意味で「護る会」の提言は伝統、法制を損ねるものとなります
旧宮家の子孫の方々に非常に無礼な「護る会」の提言 養子前提など不見識も甚だしく

もちろん女性皇族との婚姻も(婿養子に限らず、それ以外の形でも)無用です。むしろ内親王が結婚後も皇族身分を確保するために男系男子・皇位継承者を便利な道具的に扱うことを禁じる意味で婚姻は禁忌事項、皇室会議では不相当の議決が必要という議論、国民的な再確認が重要と捉えます。
また、皇位継承順を割り振るに際して、復帰一代目は除外して次に生まれた者から順位を付けるなどという姑息、弥縫策は避け、組み入れた当人を正統継承者として順位付けすることが重要となります。
(第119代光格即位における婚姻に絡めての一代飛ばし、皇位継承者の便利道具扱い、その後の「尊号一件」の教訓を活かし、現在に再現することのないようにしなければなりません)
皇位の由来、継承の正統性は、あくまで神武一系によるものであり、時の天皇、本統との近さではありません。
皇位の私物化、由来の転換を戒め、国民全体で再共有する意味でも、組み入れた当人を正統継承者として位置付けて、皇統バックアップの宮家体制としていくことが重要となります。

憲法1条、2条に関しては、図表も含めたスライド動画説明を Youtube に登録しました。
ぜひご覧いただきたく。

小中学生のための天皇・皇位継承論 1 後半
・継体天皇 手白香皇女
・推古天皇 蘇我馬子
・光格天皇 後桜町天皇
・明治の皇室典範 高度な昇華
・憲法1条 象徴 国民の総意に基く
・憲法2条 世襲 皇室典範
・旧宮家子孫から皇籍に組み入れ・宮家設立

 

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